性的倒錯
Contents
『性倒錯_様々な性の形』 ジェラール・ボネ著 白水社
なぜ今 性的倒錯なのか
カウンセリングをしていると
『他人の悲しみへの共感の欠如』『他人を苦しめることへの快感』といった
コミュニティを形成するにあたっての(他人との柔らかな接着的な部分)が
明らかに無い方にお会いすることがあります
その方々の特徴としては
『執拗な侵害的行為』『自分の快感をもっとも追求する姿勢』が
共通して見られることから
これらの方々とどう接していくか もしくは距離を取る・等の
手立てを考えるべくして 行き当たったのが性的倒錯になります
『倒錯』とは・・良い方から悪い方への変化と解釈し導入された
初期のフランスの言葉であります
倒錯 Perversion は
『歪曲、こじつけ、異食、複視』といったあまり馴染みのない意味合いを指す
言葉になります
性的倒錯は 人間を樹木に喩えて言うなれば
『幹』の部分になります
幹から色々な枝が伸び そこから先の枝葉が
生活で感じる『感情』を産むと考えています
幹の部分は個人レベルでの努力では どうにもならない部分であります
その樹木がどこの土地から生えたか・・というのも
大切なポイントになりますが
『どの水脈に根を伸ばし生きているのか』は
おそらく無意識的な部分ではその樹木自身もわかっていると思います
毒を吸って生きている幹もありますが
その毒が養分となりうる樹木も存在するのが現実です
またそういった方々のカウンセリング時の訴えには共通して
見られる特徴があります
『他人を取り込みたい』という欲求です
カウンセリング開始にあたりの見立てにおいて
内部を見させていただくと
大抵『カニバリズム』の様相をお持ちです
こちらは 毛むくじゃらなものと対峙しているような感覚になります
そういった方々の要求をカウンセリングで援助していくのは
こちらの方向性とは違うものとなります
また大事なポイントとしては
『他人に取り込まれた方』・・つまり被害にあった方々に対する援助であります
こちらは
『倒錯者に作り替えされた部分をどこまで戻すことができるか』になります
必ず『危険な倒錯者』はいます
またこの場合 倒錯者は自身の『固着パターン』や『常同行動』に必要以上に
脅かされているが 『病的』ではないと考えられています
反復的な地獄のサイクルにあるが
それはいつも『飢えている』状態にあり
決して『食べても満たされない』ところが地獄なのであります
なので精神科医や援助者が『援助』という形を取り得るのかということは
個人個人の精神科医の裁量と 理解もしくは手に言えない等の早々の
手放しによるところが大きい分野でもありました
今回はそのあたりを紐解いた本を紹介しつつ
どちらの視点からも
『自衛』としての知識を持つことが
ゆくゆくは自分を守るということに繋がったらと思っています
『性倒錯_様々な性の形』 ジェラール・ボネ著 白水社
今日的な心理学的意味が『性的倒錯』と名づけられた発端は
シャコールとマニャンの往復書簡においてである
のちのフロイトが ここから『錯誤』という言葉を用いているが
精神科医が『持て余す題材』として
名付けを行います説明するということは すなわち
その題材自体が『タブー』として存在していたということのほかないと思われます
こちらの本は『異常性的倒錯者』に対して それを『障害』とした視点を持ちつつ
その『性的倒錯』を分類してある本です
『障害』とは『その状態を受け入れられない心持ちや状態』と定義されます
昔は固定された『原因』となる人間や『状態』を障害としていましたが
近年は『その状態を受け入れるにあたっての社会からの目線』などが障害と定義されています
障害をとりまく空気感が変化してきているとも言えるのですが
その中で筆者はその『空気感』の中で
一番深部となる『闇の発生』を担う人間が『性的倒錯者』というような
書き方をしています
WHOが作成した(国際疾病分類)ではパラフィリア(性的倒錯)は
『性嗜好の障害』と分類しています
またアメリカ精神医学学会が発行したDSMーIVでは
『特殊な愛の形』としてされています
しかし近年の犯罪は非常に混乱してしている倒錯者のよるものが多く
また倒錯者は反復的な地獄のサイクルから逃れることができていないために
『治療命令』が推奨されるようになってきています
現にICD−10(世界保健機関)の疾病分類での単純な『性嗜好障害』という分類を
厳しく非難するしている声も多々上がってきているが
この際に壁となるのが『人権』といった
『尊厳の部分』が関わってきていることが大きく人々を逡巡させるとこなのだと
思います
しかしながら『非性的倒錯者』が『倒錯行為』に陥るときは
常に『倒錯的組織化』が現れています
例えば 加虐的快感を感じる倒錯者が 自分の快感を維持したいがために
その対象となる非(未)性的倒錯者を巻き込んでいく様は
組織化の様相になります
非性的倒錯者は 加虐を繰り返される現実に対応しようと
『その加虐を快感もしくは麻痺させようとするように防衛していく』という痛ましい現実があります
その結果、二者関係 つまり 非倒錯者が倒錯者となるという状況は
個人を守る手段として成立するのですが
『倒錯者』からすると格好の餌食が出来上がるわけであります
大きく分類すると『マゾ』と『サド』に分けられます
性的倒錯とはなにか
ーーーーー
分類について見ていきましょう
歴史書や宗教書も倒錯については記述が残っています
それのほとんどは
近親相姦、死体愛、獣姦などであり
聖書における最初の近親相姦の記述はノアの息子ハムの行為であります
この行為は『覗き見する』という表現で婉曲されていますが
倒錯の中で一番多く記述されるのは
『男色』です
少年愛好が許されるのは地位の高い男性の権限でもあり
日本でも織田信長がそうであったような伝記が残されています
倒錯における社会の対応は 時代の権力者により変容してきたが
権力者の嗜好がそのまま 社会の受け皿として機能していた背景が歴史から読み取れるところです
いわゆる『英雄にはあらゆる倒錯が許されていた』
おおもとの本能的な欲動を満たすために『上昇欲求』があるという側面は
現代でも見られると思います
なので『一体感』に執着し そんな形であれ関係性を維持することが前提で
孤立や隔離と闘う方法を求めているのです
では
対して捕食、狙われる方のありようを見ていきましょう
一番の倒錯への自衛として現れてきた『倒錯』は『マゾ』でありますが
これは男性と女性の『能動』『受動』のありようから生まれてきた
倒錯になります
女性であるという現実から逃げるために変装する。
その変装の先は孤独な修行士や苦行者であると ビサンチン時代()の聖人伝にすでに記載されている
また女性のマゾヒズムは公然のものとされ
芸術や文学の領域では華々しく一分野として認められている
名のある作家などが女装癖があったのも
自身のサデズムとマゾヒズムの葛藤が織り成した像だったのかもしれません
またこの本は 古典的な分類として
(B)目標としての倒錯
の二つに分けています
(A)人が対象となっている場合の性的倒錯
1 近親相姦・・・・殆どの社会で断罪される。フロイトはこの倒錯は
エデプスコンプレックスから生じたものだと説明しました
ただ時代背景によっては地域では認められていた節もあります
個人的な私の臨床データでは『親側の自己愛』が子供に
歪んで伝達された結果の倒錯という側面が否めません
2 同性愛・・・種の保存という生物的な欲求とは外れたところにある倒錯であります
が、近年ハードルが低くなってきている様相が伺えます
保存システムが働く以前の 『精神的充足』を重視した行い
に近いニュアンスがあります
これも時代背景により変化するものであり
また権力者には許されていた権限の代名詞でもあります
3小児性愛・・・・子供、老人などが対象の倒錯になります
種の保存が本能的な欲求として許される欲動であるのに対して
小児性愛は『快楽を満たす欲動』として位置付けられています
4 ある種のナルシズム・・・・ナルシズムというものを最初に記述したのは
フロイトと同時代の研究者たちであります
当時この倒錯は『対象の倒錯』と位置付けられていました
鏡に向かって自慰することでしか満足を得られない
・・つまり対象が自分自身であり 一体化欲求の元です
5死体性愛・・・・・人間の死体を性愛の対象とすることです
精神病が原因の場合もあります
葬式で興奮したり危篤状態のパートナーに性的な快感を
覚えたりすることもあります
こうした快楽が成立するのは あらゆる『別離』も彼方に
無意識的な『母親への固着』があるからこそだと位置付けられて
います
(B)目標が行為としての倒錯
1 視覚的倒錯・・・いわゆる覗きであります 現代的な分類では覗きの対象も
『恥ずかしいところを覗き見したい』
『隠された部分を覗き見したい』
『他人の営みを見たい』など 対象が細かく分類されて
来ています
露出狂・・・・相手に性器を見せて驚いたところに性的快楽を感じる倒錯
エオニズム・・相手が吐きそうになっているところで感じる倒錯
アムロフィリア・・目隠しされている状態に感じる快感
ヒエロフィリア・・
- 露出狂
- エオニズム
- アムロフィリア
- ヒエロフィリア
露出狂
エオニズム
アムロフィリア
ヒエロフィリア